KISSをしようよ 02


はぁ、疲れた。

私はタクシーを降りてマンションのエントランスに入った。
もうすぐツアーが始まる。
今日は夕方からぶっ続けでリハーサルで。喉はガラガラ足はがくがく。あったかいお風呂に入ってさっさと眠っちゃおう。
あたしは肩に大きなカバンを背負って、片手にはさっきまでメールを打ってた携帯を持って―――。

「梨華ちゃんおつかれぇー」
「きゃあああああ」

私は思わず悲鳴を上げた。
オートロックの自動ドアの隅っこによっすぃーが!

よっすぃーは、地べたに足を広げて座って、こっちを見てへらへらと笑ってた。この前見たときみたいに黒い革ジャンを着て、細いストレートジーンズ。髪は立ててなくて、化粧もしてなくてちょっと幼く見える。

「どどどどどうしたのっ!?」

よっすぃーはへらへら笑ったまま「よっこいしょ」と立ち上がる。
あれ?足元がふらついてる?と思ったら。私のそばまで来たよっすぃーからすごい、お酒の匂い。
「酔ってるの!?」
「んへへへ」
幸せそうな顔で笑う。
「どうしたの?何かあったの?」
「今晩泊めてぇ」
よっすぃーは甘えた顔でそう言う。そして私の背中から腕をまわしておぶさってくる。
「よっすぃー!重いよぉ」
「んへへ。梨華ちゃぁああん」

もうっ。一体何があったって言うのっ!?

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部屋に入るとよっすぃーはごろんとソファーの上に横になる。
私はそんなよっすぃーのそばにしゃがみ込んで、彼女の顔を覗き込む。

「大丈夫?」
「んへへ。だいじょぉぶだよぉ」
「どうしたの?」
よっすぃーは手を伸ばして。ふにぃっと私のほっぺたをつねった。
「ちょっとっ。何すんのよっ」
「梨華ちゃんさっきから「どうしたの?」ばっかりぃ」
「だってっ。心配するでしょ?こんな夜中にいきなり来てっ」
よっすぃーは少しだけ心配そうな顔になる。
「……迷惑?」
今度は私がよっすぃーの柔らかいほっぺたをつねってあげる。
「迷惑なワケないでしょ?でも、何かあったのかって心配するでしょ?」
よっすぃーはほっぺたをつままれたままへらへらと笑った。
「何にもないもぉーん。梨華ちゃんの顔見に来たの」
私は呆れて、よっすぃーのそばから立ち上がった。
「嘘ばっかり」

いきなり、やって来て。
不器用で意地っ張りなよっすぃーだから、何かあったのかって心配したけど。
そりゃぁ、何かはあったから来たんだろうけど。
結構元気そうで安心した。
だから、自分から言い出すまでほっといてやろうっと。

私は、いつもはシャワーで済ますんだけど、今日はバスタブにお湯をために行った。それからキッチンでグラスに氷を入れて冷たいウーロン茶を注ぐ。ソファーの上で、私のお気に入りのピンクのクッションを抱きしめてごろごろしてるよっすぃーに持っていってあげる。

「やーん。ウォッカか焼酎ぅー」
「そんなものありません!」
目の前にグラスを差し出しすと、よっすぃーはしぶしぶというようにソファーの上に座りなおす。グラスを受け取ってごくごくと飲み干した。
「よく飲むの?」
「んー。森やんやキーさんに付いてってるうちに飲めるようになっちゃったぁ」
「未成年のクセに」
「ロッカーだもん」
「はいはい」

「私お風呂入ってくるよ」
「いってらっさーい」
よっすぃーはソファーの向こう側でひらひらと手を振っている。
もうっ。よっすぃーったらいつの間に不良少女になっちゃって。

私はバスタブに浸かって、一日の疲れを癒していた。
ちゃぷん。
ぼんやり、バスタブにぷかぷか浮かぶ、去年のクリスマスにあいぼんに貰ったアヒルちゃんを見ていると気分がリラックスしていく。
前によっすぃーに会ったのは、去年の10月だったっけ。
あの時はよっすぃー、もっと張り詰めたみたいな顔、してたっけな。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
まだ、「森やん」さんのところにいるのかなぁ。
よっすぃー、毎日何やってんだろ。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
えーっと、明日は午前入りだっけ。
早く寝なきゃ。
あー、疲れちゃったよ。
ねむ―――。

その時。
遠くで私のケイタイの着信メロディーが鳴ったのがうっすら聞こえた。
私は思わずバスタブを飛び出し、手近にあったバスタオルを引っ掴んで(よっすぃーが居なかったら全裸のままだったろうけど)お風呂場を飛び出した。

全身ずぶ濡れのまま携帯電話に飛びついた私を、よっすぃーは驚いた顔で見ている。
「もっ、もしもしっ!」
でも、受話器から聞こえてきたのはマネージャーの声。
明日のスケジュールの変更。
私は通話の終った携帯電話をテーブルの上に放り投げた。

「風邪ひくよ?」
よっすぃーがバスタタオル一枚で唇をとんがらせているあたしに、おかしそうに言う。
私は「わかってるわよっ」と答えてお風呂に戻った。

お風呂から出ると、よっすぃーはソファーの上ですやすやと寝息をたてていた。
「こんなところで寝てると風邪ひくよ」
「んー」
よっすぃーはだるそうに半目を開けてあたしを見る。わたしはよっすぃーの顔の上にパジャマとバスタオルを落とした。
「お風呂入っておいでよ」
「んー」
よっすぃーは頭をばりばりと掻きながら、パジャマとバスタオルを抱えてふらふらとお風呂場に消えた。

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私はさっき放り投げた携帯を手に取った。
何で。
何でかかってこないよっ。
昨日もその前も、私から電話して。
メールもいつも私から。
「もうすぐ家だよ〜」ってさっきのメールの返事さえ来ない。
バカバカバカ。
携帯に向かって怒ってみたって、どうにもなんないことはわかってるのに。
ついは文句のひとつも言いたくなるよ。
だって。
だってあの人には言えないんだもん。

「梨華ちゃん、携帯は電話するモノであって、喋りかけるモノじゃないよ?」

突然背後から声をかけられて、私は飛び上がった。
「よっすぃーっ!」
似合わない、私のピンクのパジャマを着て、バスタオルでがしがし頭を拭きながら、私を見下ろしているよっすぃーの、にやにやと楽しそうな顔。
「そんなことわかってるもんっ」
よっすぃーはどすんと私の隣に胡坐をかいて腰を下ろした。
そして、にやにや笑いのまま私の顔を覗き込む。

「ひょっとして、恋してんの?」

その一言に、私は、自分が耳まで真っ赤になってしまうのを感じた。
「なななななな何言ってんのよっ」
「だって、ケイタイの音でお風呂から飛び出てきたり、ケイタイに唇とんがらせて喋りかけたり、メチャクチャ普通じゃねーし」
よっすぃはそこで言葉を切って、意地悪なにやにや顔を、より一層嬉しそうに歪ませる。
「お風呂の鏡に、だっせー相合傘。残ってたし」
「いやーーーーーっ!」
よっすぃーの言葉に私は絶叫した。
ついうっかり、いつもの調子で曇った鏡の上に、私とあの人の名前。
やだぁ、まさか残ってるなんて!

よっすぃーは真っ赤になって半べそをかいてる私を見て、のたうちまわりながらゲラゲラと笑ってる。もうっ、くやしいっ。よっすぃーのバカっ。
「梨華ちゃんは乙女だねぇ〜」
「うるさいよっ」
「いまどき、だって、相合傘だってっ」
涙を流しながらひーひー言ってる。
もう、何よ何よ。
突然訪ねてきて、何かあったのかって心配してあげたのに。

私は唇をとがらせて、よっすぃーを睨みつけた。
「何よっ。そんなに笑わなくたっていいじゃん。よっすぃーだって恋ぐらいしたことあるでしょっ!?」

そう言ってから。
そう言えばよっすぃーと恋愛の話なんてしたことなかったことに気がついた。
よっすぃーが娘。にいたときは、やっぱり恋愛禁止だったし。気軽にこんな話なんてできなかった。今だって、私に好きな人がいること、メンバーは誰も知らない。

そんなこと思いながら、ふと、意地悪よっすぃーの方を見ると。

さっきまでの大笑いはどこにいったのか、抱えたクッションに半分顔を埋めて、拗ねたような顔をしてる。
「あたし、恋なんて、したことないもん」
ぼそっと、つぶやくように言った。
「うそぉ」
「嘘じゃ、ねーよ」

その言い方が、どこがってわけじゃないけど、何となくひっかかった。
よっすぃー自身も何か、迷ってるみたいな言い方で。
それで、突然、家にやってきたことを思い出して、何があったんだろうって気になった。

「よっすぃー、何があったの?」
「何って何さ」

不満そうに答えるよっすぃー。
でも、そのよっすぃーの顔を見てたら。
この前よっすぃーと会ったときのことが、ふいに頭に浮かんだ。

あの、怖そうで、でも穏やかな目をした男の人を見る、よっすぃーの今まで見たこと無いような素直な目。

よっすぃーは、何でもないって言ってたけど。
よっすぃーは男の人と住んでるんだ。

よっすぃーとあの人が、どんな関係なのか私にはわからない。
でも、私だって子供じゃない。
男の人と住むってことがどういうことかくらいはわかるし。
それでも「恋なんかしたことない」って自信無げに答えるよっすぃー。

私は不安になった。
よっすぃーが傷つけられてるんじゃないかって。

「あの、「森やん」さん、と、何かあったの?」

私は思わずよっすぃーに覆いかぶさるようにようにしてそう聞いていた。
もし、よっすぃーが幸せじゃないんだったら、何とかしてあげなきゃいけないって。

ところが。

私がそう尋ねたら、よっすぃーは、まぁよくぞこれまでっていうくらい。
あの羨ましい白い肌を真っ赤に染めた。

「なっ、なに言ってんだよっ!」

よっすぃーは、よっすぃーを押し倒さんばかりに接近していた私を突き飛ばしながらそう言った。トマトみたいな真っ赤な顔のまま。

あれ?ちょっと待って、どういうこと?

私が想像したのは、つまり、よっすぃーとあの男の人が、つまり、そういう―――いわゆる大人の関係で、騙されてるとは言わないけど、でもよっすぃーにはそんなつもりがなくて、それで悩んでてって。
それのどこに、赤くなる要素があるんだろう?

でも、よっすぃーの滅多に見れない真っ赤な顔を見てたら。
とりあえず、さっきの仇を討ちたくなって。
人のことさんざんからかって!って。

私はよっすぃーに詰め寄った。
「何よぉ。何があったのか言いなさいよぉ」
「うるせぇよ。梨華ちゃん」
「怪しいっ。絶対怪しいもんね。そぉおんな真っ赤になっちゃってさ。何があったのか白状しなさいよぉー!」
「うるせぇ、キショイよ、あっちいけー」
「何よぉー!」

いつの間にかくすぐり合いっこになってて。
私とよっすぃーはひーひー言いながら、上になったり下になったり大暴れしてた。
すごく楽しかった。
私ももうすぐ19になるし、よっすぃーももうあの頃のよっすぃーじゃないけど。
でも、何だか、二人とも15歳だったあの頃に戻ったみたいだった。
難しいこととか全然考えないで、毎日一生懸命で、毎日ふざけあって大騒ぎしていた、あの頃。私もよっすぃーも「新メン」って呼ばれていた頃。

狂気のくすぐり合いっこの波が収まって。
私とよっすぃーはソファーの上に折り重なっていた。
二人とも肩でぜいぜいと息をしながら。
私はうつぶせになったよっすぃーの背中の上に寝そべって、よっすぃーの金髪が息をするたびに揺れるのを綺麗だなって思って、見てた。

「…ス……」

私の下のよっすぃーが、やっと荒い息が収まりかけた頃、聞き取れないくらい小さな声でぽつりと言った。
「え?何?」
目の前の、金髪の後頭部に向かって聞き返す。
しばらくの沈黙の後。
ソファーに顔を埋めている、よっすぃーのくぐもった声が、答えた。

「キス、された」

それと同時に私から見える首筋と後ろ耳が真っ赤に染まった。
私の乗っかっているよっすぃーの背中も2度くらい体温が上がったような気がした。
背中から見ててもこんなに赤いのに、前から見たらどうなってるだろうとよっすぃーの顔を覗き込みたい意地悪な衝動に駆られたけど。
それ以上に、よっすぃーの発言に驚いてしまった。

「はぁ?キスぅ?」
間抜けな声を出してしまう。
「森やん……に」
さっき以上に消え入りそうな声で答えるよっすぃー。

私はよっすぃーの背中から体を起こして、頭をぽりぽり掻いた。
えーっとキスって。
つまり、キスだよねぇ。

よっすぃーはうつぶせに寝転んだまま死んだように動かない。
私はそんなよっすぃーを見下ろしながら言った。

「キス、だけ?」

がばっ。
音がするくらいの勢いでよっすぃーが起き上がった。
手近にあったクッションを掴んで、思いっきり私に投げつける。
お見事。
よける暇もなく顔面に命中。
至近距離から投げつけられて、いくらクッションとはいえ、かなりの衝撃。
痛かった。
でも、そのよっすぃーの顔に、わたしは怒る気にもなれなかった。

だって、真っ赤で、半べそかいて。
なんとも情けなくて頼りない顔。

「キスだけってなんだよっ。梨華ちゃんもあたしと森やんが変な関係だって思ってたんでしょっ!あたし達はそんなんじゃっ、そんなんじゃないんだからっ!」

言いながら、よっすぃーは2個目のクッション爆弾を私に投げつけてくる。
呆然としてたけど、さすがに2発目は顔面ヒットする前に自然とキャッチしてた。

「でも、キスしたんでしょ?」

我ながらまっとうな切り返しだったと思う。
しゅん。
まるで破裂寸前の風船から空気が抜けるようによっすぃーの肩が落ち、力が抜けた。
がくんと頭を垂れる。

「……だから、どうしたらいいかわかんなくて、混乱してんじゃんかっ」

あらまぁ。
何て可愛らしい。
素直なよっすぃーに頬が緩んだ。
やだ、もう。
よっすぃーがこんな子供だったなんて知らなかった。
もう。
もっと、ヘビーで暗い話を想像してたのに。

「それで、家に来たの?」
よっすぃーはこくんとうなずく。
「酔っ払って……ってわけじゃなくて?」
私を待ち伏せしていたとき、よっすぃーは酔っ払ってたことを思い出して、酒の席のおふざけでそういうことになったんじゃないかなって思ってそう聞いた。
よっすぃーは一瞬、えっ?って顔になってから、私の言いたいことが分かったみたいにうなずいて首を振った。
「違う。ここ2,3日は、ホラこの前会った伸悟って……アイツのトコ泊めてもらってて、でも彼女来るからって追い出されて」
よっすぃーは唇をとがらせながらぽつりぽつりと話した。

「じゃあ、それから森やんさんには会ってないの?」
「森やん」という言葉にすら反応してびくっと体を揺らすよっすぃー。
「だって、どんな顔して会ったらいいか―――」
そう答えたよっすぃーの大きな目には零れ落ちそうな涙がたまっていた。
よっすぃーってば、何て可愛いんだろう。

「森やんさんのところに住むようになってどれくらい?」
「半年……くらい」
「その間、本当に、何もなかったの?」
よっすぃーは、きっと私のことを睨みつけた。
「何にもないよっ。あるわけ無いじゃんっ。森やんはあたしの親分で、あたしは一番下っ端の子分でっ。男も女もなくて―――」
あらあら。
言いながら、よっすぃーはとうとう泣き出しちゃった。
テーブルの上のティッシュの箱を渡すと、箱ごと引っ掴んで豪快にティッシュを引き出す。
「ずっと、そのままでよかったのに―――」
ティッシュに顔を埋めて言うよっすぃー。

やだなぁ。
さっさと娘。辞めちゃってさ。
ハードな格好して、夜の街をふらふら歩いてさ。お酒飲んだり、男の人と暮らしたり。
よっすぃーなんて私の知らない間にずっと大人になっちゃってんだと思ってたのに。

何よ。
もう、心配かけて。

キスのひとつでこんなにうろたえて、泣いちゃうような子供だったなんて。

本当に。
よっすぃーってなんでこんなにアンバランスなんだろう。
でも、なんでこんなに可愛いんだろう。
いつも憎らしいばっかりなのに。

「キスされて、ヤだった?」
私が聞くと、よっすぃーは3秒考えて、小さく首を振った。
「わかんない……。びっくり、して……」
しゃくりあげながら答える。

「一緒にいて、触れたいな、とか、触れられたいなって。思ったこと。一度もなかった?」

びくっ。
よっすぃーは体を揺らした。
そしてすっかり固まってしまう。

よっすぃーは何も答えなかったけど。
それって、つまり肯定ってことよね?
何だ、よっすぃー、ちゃんと恋してるんじゃん。
それに気づいてないくらい子供なのか。
それともわざと気づかなかったのかは、わからないけど。

「好きなんでしょ?森やんさんのこと」
よっすぃーは首を垂れたまま力なく首を横に振る。
「わかんないよぉ。そんなこと、本当に、考えたこと……。でも……」
「でも?」

「……森やんになりたいって思ったことはある」

それが、最高の愛の告白だって、どうしてこの子は気づかないんだろう。
私だって恋愛のエキスパートってわけじゃない。でも、普通の18歳だもん恋くらいしたことあるし、失恋して泣いたこともあるし。今だって、すごくすごく好きな人がいる。
でも、その人になりたいって思うほど誰かを愛したことなんて、まだ無いよ。

よっすぃーは、まだ、子供なのに。
そんな相手に出会っちゃったなんて。
それって幸せなのかな、それともつらいのかな。
ほんの少し、よっすぃーのこと心配になる。

でも、出会ってしまったんだもん。
絶対に、その手を離しちゃいけないと思った。

「とにかく、明日になったら、森やんさんのとこ、帰んないとだめだよ」
私は諭すように言う。
「だって……」
「このまま、逃げてたら、どんどん顔合わせづらくなるよ?もう森やんさんに会えなくなってもいいの?」
よっすぃーは慌てて首を横に振った。
「やだ」
「だったら、帰りなさい」

よっすぃーは唇をとがらせて、拗ねたみたいな顔をする。
「あたしが、ちょっとぐらい、帰らなくても、森やんは何とも思わないよ」
「じゃ、よっすぃーがいない間に、誰か違う女の人が一緒に暮らしてたりして。そしたらよっすぃー住むとこなくなっちゃうね」
なかなか素直にならないよっすぃーに意地悪を言う。
「……いいよ」
「えっ?」
「そしたら、それでいい。あたしは森やんの金魚のフンでいいんだもん」

「そうじゃないでしょっ!」

よっすぃーのわからずや加減に段々イライラして。私は大声を上げてた。
「梨華ちゃん……」
「よっすぃーはいつもそう!カッコばっかりつけちゃってさ。本当はこれ以上深入りするのが怖いだけなんでしょ?今以上に森やんさんの心の中に入ってって、追い出されるのが怖いだけ。やることはメチャクチャのクセしてさ。よっすぃーは人との付き合いになると本当に臆病なんだもん。自分で絶対大丈夫ってわかるまでは、絶対自分から近寄ろうとしないんだからっ」

気がついたら、そうまくし立てていた。
よっすぃーはちょっとびっくりした顔で私のこと見てる。
やだ、私ったら何熱くなってんだろう。
そう思ったけど。
いつものよっすぃーの人見知りの癖で、よっすぃーが大事なものなくしちゃうのはすごくヤダって思ったんだもん。

「そう、なのかな?」
私の勢いにびっくりしたのか、よっすぃーは意外に素直にそうつぶやいた。
「そう、だよっ」
「あたしって臆病なの?」
「そうだよ。娘。にいたときだってそうだったじゃない。いつも自分が好かれてるってわかるまでは自分から近づこうとしないから。だからなかなか先輩達とも打ち解けられなかったし。私達とだって、一緒にふざけたり遊んだりはしてたけど、ちゃんと本心を見せてくれるようになったのってずっと後になってからだったじゃない」
よっすぃーは照れたみたいにへへへと笑った。
「梨華ちゃんが、そんなにあたしのことよく観察してたなんて知らなかった」
「何よそれ」
「へへへ。まさかよりによって梨華ちゃんに説教されるなんて」
「どういう意味よぉー!」

いつの間にか、いつもの生意気なよっすぃーに戻ってた。
ぽんぽんと憎まれ口を投げてくる。
むかつくけど。でもそれがよっすぃーの照れ隠しだってわかってるから。
そんなところも可愛いと思っちゃう。
あーあ、私ってば何でこんなによっすぃーには弱いんだろう。

知らない間に時間は夜中になっていて。
私たちは慌ててベッドにもぐりこんだ。
枕を並べて、ひとつのベットに横になっていると、いろんなことを思い出すね。
娘。になってすぐは、ホテルの部屋で一人で寝るのが怖くって、小さなシングルベットで寄り添って眠ったり。
よっすぃーも同じことを思い出していたのか、ぽつりと「何か懐かしいね」ってつぶやいた。
あの頃は、本当にまだ何にも知らない子供だったのに。
いつの間にか、私もよっすぃーも恋をしたりする年齢になってたんだね。
あの、楽しかった頃に戻れないのは、ちょっと寂しいけど。

「あのさ……今日は、ありがと」
ぶっきらぼうにつぶやくよっすぃー。
そして、照れ隠しみたいに、私に背を向けて寝る体勢。

でも、こうやって、進む道は違っちゃっても、私たちは友達のままでいれてるんだ。
子供の頃に戻りたいなんて、きっと、贅沢なんだよね。

よっすぃーの金髪の後ろ頭をぼんやり見つめながら、眠りに落ちるほんの手前。
私は心の中でよっすぃーに話しかける。

そんなに臆病にならなくったって、よっすぃーみたいに生意気で不器用であまのじゃくで、でも、そんなとこも全部ひっくるめて可愛い子のこと、誰だってみんな大好きに決まってるんだから。

本当は、そう言ってあげたいけど。悔しいから、言ってあげない。
そんなこと、よっすぃーの大好きな森やんさんに言ってもらえばいいんだよーだ。

あれ?
私、ちょっと、ヤキモチやいてるのかなぁ。

何だか、可愛い妹を先にお嫁さんにあげちゃうお姉さんの気分だなぁ。

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次の日、昨日遅くまでよっすぃーと話してたせいで、大寝坊。
私は大慌てで朝の用意。
服だカバンだとばたばたと走り回る私を眺めながら、すっかり身支度を済ませたよっすぃーは悠長に(そして勝手に)朝の紅茶を味わってる。

何だって、よっすぃーってば昔っからこんなに朝の用意が早いんだろう。
寝癖のついた頭を半べそで梳かしながら。でもそんなこと言ったら、多分、すっごく意地悪な顔で言うんだよ?
「梨華ちゃんがドンくさいだけだよ」って。

私は何とか身支度を済まして、カバンを引っ掴んで玄関に向かった。
いつの間に?
そこにはすでに、よっすぃーがごついブーツも履き終えて、私のことを待っていた。

靴を履きながら、カバンに手を突っ込んで部屋の鍵を探す。
探しながら、それでも、まだ、よっすぃーが心配になって、言う。

「もし、帰る勇気がでなくて、行くとこなかったら、うちにいてもいいんだよ?」
あーあ、結局こうやってよっすぃーを甘やかしちゃう私がいけないのかもなぁ。

目の前に、見慣れたキーホルダーが差し出された。
あっ、これ家の鍵じゃん。

「下駄箱の上に乗ってたけど?」
笑いを含んだよっすぃーの声。
「もうっ!早く言ってよっ!!」

一緒に部屋をでて、部屋のドアに鍵をかける。
背後でよっすぃーがぽつりと言った。

「梨華ちゃんにお説教されちゃったし、ちゃんと、帰るよ」

エレベーターに乗り込んで、1階に下りる。
二人とも何となく、黙り込んだまま。

マンションのエントランスで。
「梨華ちゃんタク?」
「うん、電車だと、もう、間に合わない」
「じゃあ、あたしは、ぶらぶら歩いて帰るから」
私たちは別れた。

本当は、急いでて1分でも惜しかったのに。
何となく私は、本当にぶらぶらと歩いていくよっすぃーの背中を見送っていた。

革ジャンのポケットに手をつっこんで。
背中を丸めて。
歩くたびにひょこひょこ揺れる金髪頭。

本当に、どこに行っちゃうのか分からない。
糸の切れた風船を思わせる、よっすぃーの気まぐれで危なっかしい歩き方。

本当にちゃんとあの人のところに帰るのかなって、ちょっと心配になったけど。
きっと、帰っても帰らなくても、何かあれば私のところに来てくれる。

私もくるりと踵を返して、タクシーを捕まえに大通りに向かって歩き出した。

ふいに、よっすぃーとあの人が並んでいるところを想像して、頬が緩んだ。
何だか、お似合いみたいな、全然ちぐはぐみたいな。

それにしても。
もう、大人なのに。
キスしただけで、何日も家出されちゃうなんて。
あの人も、大変だなぁ。

一人で、くすくす笑いながら早足で歩く私。
すれ違う人に不思議そうに見られちゃったよ。


おわり


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