ラモーナ


いい天気だなぁ・・・。

雲ひとつない晴天。
優しく照りつける太陽。
どこからか子供達のはしゃぎ声が聞こえる。

自宅マンション前のガードレールに腰掛けた北里はこめかみを押さえた。
「頭いてぇ」
まだ残る、昨日の酒。
午前中の仕事はきついなぁ。

この溢れんばかりの日の光とさわやかな青い空に似合わない、皮パン、ライダースにオールバック。
全身黒ずくめの彼。

北里の前に1台の車がとまった。
運転席からまだあどけなさの残る金髪の少女が顔を出す。
「おはようございまーす」
それは、しつこく彼らの後をついてまわり、いつの間にか彼らのカバン持ち兼運転手兼何でも屋になってしまった、元アイドル。さすがに元アイドルと思わせる美しい容貌と、本当に元アイドルかと疑いたくなる破天荒さをもつ少女。
しかも、運転席から覗かせたその顔は、口元が無残に腫れあがり痛々しい青紫色に変色している。
北里は彼女の運転する車の後部座席にのりこんで。
「何ね、その顔。またケンカでも―――」
後部座席の先客。長い付き合いの仲間、彼女の飼い主の顔を見て絶句した。
「な、何があったと!?」
「何でもなか」
不機嫌そうに答えた彼のまぶたにも彼女と同じようなあざ。
「何でもなかって―――」

車は滑るように優しい太陽の下を走り出した。

その、うららかな陽気とは正反対に、車の中は重い沈黙。
無言でぐんぐん車を加速させる少女と、不機嫌を絵に描いたような顔で窓の外を見る友人。
こんな時は何を言っても無駄。
彼の扱い方を心得た北里はやれやれと言うようなため息をついて、おまわりさんに見つかったら一発免停を食らいそうな勢いで飛び去っていく風景に目を向けた。

「ヨシザワ、何かかけろ」
車内の重い空気にうんざりして北里が言う。
「何がいいっすか?」
「何でもよか」
「WHOばかけろ」
隣の森山が言う。
「絶対、い、や」
これ以上はないと言うくらい不機嫌な声で吉澤が答えた。
また、車のスピードが上がる。
「……佐々木んとこの新しいのまだ聞いてないけん。あるか?」
北里がうんざり半分取り繕う気持ち半分で言う。
「はーい」
森山に対する返答とは180度違う素直な声で吉澤が答える。
彼らの弟分のバンドの活きのいいサウンドが流れた。

北里は心の中でひとりごちた。
おいおい、何だよこのイヤーな雰囲気は、と。

うんざりするような重い空気を一緒に乗せたまま、車は目的地のFM局のビルに着く。

「終り2時やけん」
「ん」

事務所を独立してから、カネと人の節約のため、常にマネージャーがスケジュール管理をしてくれるワケでは無くなった。取材やラジオの収録ぐらいなら自分達だけでこなす。
不機嫌なふたりは最低限度の言葉のやり取りを交わして別れた。

ゲスト出演する番組の収録スタジオまで昇るエレベーターの中。
「で?」
北里が言う。長い付き合いだからこその一言で通じる会話。
「やから、何でもないっちゃ」
車の中では不機嫌一辺倒だった森山が照れたような笑いを浮かべた。
この年になって明らかに「ケンカ」と分かる傷を作った森山に北里も笑いを返す。
「ええ年して。なつかしかね。誰にやられたと?」
やんちゃだった昔の自分達を思い出す。
吉澤の傷といい、このふたりはどこで暴れてきたんだと思うと笑いがこみ上げた。

チン。
エレベーターが目的の階に到着する。ドアが開いて、森山が先におりる。
「ヨシザワ」
その拍子に、ぽとんと落とすように言った森山の言葉に北里は耳を疑う。
「はぁ?」
森山は答えずに収録スタジオに向かってずんずんと歩いていった。

前にも何度か顔を合わせたことのあるパーソナリティーの女性に挨拶し、軽い打ち合わせ。
その後、収録までの時間をホールの狭い喫煙所で過ごす。

「で、ヨシザワと殴りおうたと?」
「アイツ、髪伸びてきたけん。床屋行くカネがもったいないちゅーけん俺が切ってやったら、何か、気に入らん言い出しよって。あーでもないこーでもないゆうとったら。アイツ、グーで殴ってきよったっちゃ。グーでやぞ?」
森山の言葉に北里はあきれた。
そういわれれば、確かに今朝の吉澤は髪が短くなっていた。
しかし、森山は器用で、自分の髪も自分で切ることもある。吉澤の頭もそれほどおかしな出来ではなかった。
「で、殴りかえしたと?」
「アイツ床屋に行くカネはケチるクセに、最近ボクシングジムに通いようぞ?いろんなヤツ置いてやったけん、あんなガキは初めてっちゃ。信じられん」
森山は痛々しく腫れて、より一層彼の人相を悪くしている傷にそっと触れた。
親分肌で面倒見のいい森山は自分を慕ってくるヤツを邪険にはできない人間だった。居場所のないヤツには、使い走りをさせながらしばらく自分の家に置いてやることも珍しくなかった。ただ、今までなかったのはそれが「女」だってことだった。女を子分として置いてやった事は今まで無かった。

「俺ゃあ、18の小娘と本気で殴りおう森やんがわからん」
「ありゃあ女やなか」
吐き捨てるように森山が言う。
北里はそんな森山を横目で見て、前から気になっていたことを口にした。
「ホンマに……ヨシザワとは何にもないと?」
「はぁ?」
森山は吹き出すように聞き返す。北里は眉を上げた。
「あるわけなか。オマエあんなクソガキとどーにかしよーと思うか?」
「確かに、まぁちょっと、アレやけど。でも、顔はかわいかよ?アイツ見ちょるとたまにハッとするけん」
「けっ。俺はアレを女とは認めん。お行儀の悪い、でかいバカ犬みたいなもんたい」
確かに「飼い犬に手を噛まれる」という状況を率直に現した森山の目の上の傷を見て、北里は吹き出した。
「なんか?」
「なんもなかよ」

北里には不思議だった。
自分もそうだが森山も生粋の「博多んもん」。
男尊女卑と言えば聞こえは悪いが「男」はどこまでいっても「男」だし、また逆の「女」も然り。三歩後ろに下がって歩けではないが、男と女は全くの別モンだという考え方が染みついていた。
その森山が、なぜ、吉澤に対してだけは「女」ではなく、今まで自分の後をくっついてきた小僧達と同じように扱い、面倒を見ているのか。
親子以上に離れた年齢のせいなのか、吉澤の存在が特殊なのか。

それとも、吉澤とデキているのか。

そう疑うこともあった。でも、それも無さそうな話だった。
森山は仕事場に女を連れ込むのを一番嫌っていた。
いかにイマドキの女が強くなろうとも。女は弱いもので守ってやらなければいけないものと言う考え方から抜けきれない森山は、いつも自分の女を仕事から一番遠いところに置いておきたがった。
そのくせ女より仕事を優先する。
女より音楽を愛してしまう。
音楽のこととなると、他の事は全部忘れてしまうアンバランスな男。
生粋のROCKAHOLIC。
だからこそこんな割の合わない仕事をこんなに長く続けられているのだろうが、ほっぽっておかれる女にとってはたまらない。
どんなにデキた女でも、目の前の恋しい男がいつもよそを向いていて、しかもその相手がどうあがいても太刀打ちできないシロモノだとしたら、そのうち愛想を尽かして逃げ出してしまう。
森山が女と長続きしない理由は誰の目にも明らかだった。
寂しがり屋でいつもそばに誰かを置いておきたがるくせに。
最後はいつも砂をかむような別れかたで去られてしまう。

とりあえず。
北里は目の上を腫らした森山をもう一度見てしのび笑いを漏らした。
あの森山をグーで殴るようなイカレタ女は後にも先にも吉澤だけだろうと。

ラジオの収録が終りふたりはビルを出た。車寄せに立って吉澤が迎えに来るのを待つ。
爽やかな風に吹かれて並んて立つ爽やかじゃないふたり。
「アイツ、そろそろ家に帰さんといかんかの」
森山がぽつりと言った。
北里は森山を見た。
可愛がってた捨て犬に本物の飼い主が見つかって返さなければいけなくなった子供のような表情。
でも彼らは子供じゃない。社会的には責任ある立派な大人。18の家出少女をいつまでも家に置いておいてもいいのか。実際にふたりの間に何もなくても、47の男と18の少女が一緒に住んでいるとなると世間の目が下世話な想像をしてしまうのも知っている。そして傷つくのはいつも女の方だとも。
「アイツが素直に帰ると思うか?」
北里が答えると、森山はふっと笑った。
「帰らんやろな」
「森やんとこ追い出されたら、まぁた公園で寝泊りしたりしよるぞ。アイツは」

「やけど、このままじゃ―――」

言いかけた森山の言葉をかき消すように、黒のボロカローラワゴンが猛スピードで走ってきてふたりの前で派手な急ブレーキの音をたてて止まる。吉澤の車。
「おつかれさまっす」
「オマエそのうち事故るっちゃ」
乗り込みながら北里が言う。
免許をとって3ヶ月にもならない吉澤は、もう一端のベテランドライバーのような顔でハンドルに肘をかけて北里に笑いかけた。子供のような無邪気な笑顔。
「遅か」
憮然とした表情で森山が言う。まだケンカごっこを続ける気らしい。
吉澤は答えずに車を発進させた。
「んへへ」
前を見たまま、いつもの力が抜けるような笑いを漏らす。
どうやらこっちは機嫌が直ったらしい。
吉澤は助手席に手を伸ばした。そしてLPレコードのジャケットを後ろのふたりにちらつかせる。
「折角見つけてきたのになぁ。そんな意地悪言うんだったらヨシザワがもらっちゃおーかなぁ」
四方が擦り切れて日焼けした時代物の中古レコード。そのジャケットを見て森山と北里は大声を上げた。
「なーっ!すげぇっ!!」
「どこで見つけたとっ!?」
ふたりは吉澤から奪い取るようにレコードをとりあげ頭をつき合わせて眺める。
ドクター・フィールグッドの貴重な初期のライブアルバムの海賊盤。彼らが喉から手が出るほど欲しがってた代物だった。
森山は後部座席から腕を伸ばして運転席の吉澤の頭をめちゃくちゃに撫でた。
「えらい!でかした!」
「森やんやめてっ!前見えないっ!!」
「愛しとうぞヨシザワー!」
「ぎゃああああああ」
3人を乗せた車は大きく蛇行して、後続車に派手にクラクションを鳴らされる。
北里は手にしたレコードジャケットと子供のようにじゃれ合うふたりを見比べ、苦笑いして肩をすくめた。

「聴いてくか?」
「おう」
森山に誘われて北里はふたりと一緒に森山の部屋に戻った。
マンションのドアを開けて。
「な、何ねこれ!」
北里は思わず声をあげた。
リビングのテーブルはひっくり返り、物が散乱し、フロアタグはくしゃくしゃに波打ち―――。北里でなくても泥棒でも入ったのかと思いたくなるような惨状だった。
「あー、忘れとったばい」
森山は手を額にあててあちゃーと言うようにつぶやいた。吉澤は森山の隣で、んへへと例の笑いを浮かべている。
「そんなに、暴れたと?」
恐る恐る北里がたずねる。
森山は答えずに吉澤の尻の辺りを蹴った。
「片付けろっちゃ」
「何であたしが!だいたい森やんが―――」
蹴飛ばされた吉澤はありありと不満を浮かべた顔で森山を振り返り睨みつける。
おいおいここで第2ラウンドはやめてくれよ、と北里は心の中でつぶやく。
「いそーろーは誰っちゃ?」
唇の端を歪めた勝ち誇った顔で森山が言う。
「くっそぉおおおおお」
地獄の底から響くような声をあげて吉澤の敗北。

吉澤はしぶしぶ片づけを始めた。テーブルを直し、その辺に散らかった物を適当に部屋の端に寄せていく、いかにも大雑把な片付け方だったが。
そして3人は腰を落ち着けて吉澤が探し出してきたレコードをプレーヤーにかけた。
レコード盤に針が落ち、じーという小さな音。
音楽が始まるまでの数秒の、針とドーナツ盤の摩擦音。
ドキドキワクワクが詰まったこのベストソングを、レコード盤を知らない今の若者は知らないのかと思うとかわいそうになる。

何度もレコードをリピートさせて、スピーカーの前に陣取った森山と北里は、音と昔の話に夢中になっていた。ジャケットを眺めてはあーでもないこーでもない。その曲をコピーしていた頃を思い出してはあーでもないこーでもない。ルーツが同じふたりだからこその会話に興じる。

窓から差し込む太陽の光が傾きかけているのに気づいて、北里は少年時代から現実に戻る。
「6時スタジオやないと?」
「ああ、もう出んといかんっちゃ」
何気に振り返り、背後のソファーに寝転がっている吉澤に気づく。
そういえば吉澤の存在をすっかり忘れていた。

吉澤は仰向けに寝転がって胸の上に手を組んで死人のように目を閉じている。
西日に照らされてオレンジ色に染まった、その生気のない美しい顔に、北里ははっとする。
普段の飄々とした大雑把で、少年のような吉澤はそこにはいなかった。
そこにいるのは傷つきやすい壊れ物のような儚い少女。

北里は森山の顔を見た。
森山の吉澤を見る目には、どうしようもない優しさが滲んでいた。

「起こさんでもよかか?」
北里がたずねると、森山は眉を上げて横たわったままの吉澤に声を落とす。
「起きとろうが?」
「ん」
ぱち、と、まるで音が聞こえそうにその大きな目が開く。
すっと起き上がりソファーの上に胡坐をかき、んへへと笑う。
そこにはもういつもの吉澤がいた。
「車、取ってくる」
そして、そう言い残すとキーホルダーを掴んで出て行った。

「ヨシザワ、家ではいつもあんなんと?」
「あ?」
「大人しいけん、アイツがおること忘れちょった」
森山は皮のジャケットを羽織ながら答えた。
「あー、そう言われるとそうやね。いつも、おるかおらんかわからんっちゃ」
「ほんまにイヌみたいなヤツやのう」
「吠え出すとうるさいっちゃけどな」

また、可愛い愛犬の話をしている飼い主のような顔になる森山。
確かに吉澤はイヌっころみたいなヤツだけど。
北里は思った。
それでも、やっぱりあんな顔を見せたりもする。
感受性の強い森山がそれに気づかないなんてことはありえない。

このふたりはいつまで今の、イヌっころと飼い主の関係を続けられるんだろう。
FM局のビル前で吉澤を待っていたとき、森山が言いかけた言葉を思い出す。
『やけど、このままじゃ―――』
そのあとなんと言うつもりだったんだろうか。

そして、もし、吉澤が出ていってしまったら。
ひょっとして、森山の方が堪えるんじゃないだろうか。

北里は苦笑いを漏らす。
自分は何を考えているんだ。
目の前の森山も、自分と同じで、もうそんなことに振り回されるような若造じゃないのに。

マンションの玄関に下りると、駐車場から車を回してきた吉澤が明るい笑顔でふたりに軽く手を振っている。
そして、それに視線だけで応える森山の、吉澤を見つめる目。

長い付き合いのその友人の、その目を見て。
北里は不安を感じられずにいられなかった。


おわり


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