崩れ落ちる前に


4月5日、深夜、とある安アパートの一室。

くわえタバコの少年が、少女に言う。
「笑えよ。すっげぇ楽しそうに笑え」
華奢で安っぽいシングルのパイプベッドの上。裸の体にシーツを巻きつけた少女が笑う。
「あたしを誰だと思ってんの?作り笑顔なら日本一だよ。何てったってモーニング―――」
カメラのセルフタイマーをセットし終えた少年が、少女の隣にすべり込んでくる。
「だからさ。本気で笑えよ」

カシャ。

カメラが発する無機質な音。
裸の肩を寄り添う、幼すぎる二人の笑顔が切り取られる。

4月11日、午後11時、クラブ「Paradice」

目立たないグレーのスーツを着込んだ50代くらいに見えるその男は、このクラブの中では悪目立ちしていた。胸に黒いブリーフケースを抱え、戦場に迷い込んだウサギみたいにキョロキョロと周りと見回している。
金や銀の頭をした酔っ払ってたりラリってたりするヤツに、声を掛けられからかわれて額の汗をぬぐっている。
少年はそのオヤジに近づいて声をかける。
「TPOをわきまえろって、会社では教わってねーのかよ」
「き、君か」
眼鏡の奥から、恐怖と軽蔑の混じった目で少年を見た。
傍目には親子にも見える二人は店の奥のカウンターに納まった。
「持ってきたか?」
男は何もいわずブリーフケースの中から厚みのあるマニラ紙の封筒を出した。
少年は周りに気づかれないように封筒の中身を覗く。
無造作に放り込まれた福沢諭吉の束。
「ひゅー」と小さな口笛を吹いてみせるが、その額には緊張からか薄く汗が滲んでいた。
「これで、本当にアレには近づかないでくれるんだろうな」
男が言う。
少年は、ライダースジャケットのポケットから一枚の写真を取り出すと、男の前に置いた。
「記念にやるよ」

切り取られた少女と少年の笑顔。

「だけど、アレだぜ?金さえ貰えば文句ねーけど。アイツが別れないってゴネても、俺は知らねーからな」
金を手に入れて気を大きくしたのか少年の声のトーンが上がる。
男は汚らしいものを見るかのように顔をしかめた。

「いいんだよ。アレには近いうちに辞めてもらうから。君さえ秘密にしていてくれれば」

用が済むと、1秒でもこんなとこに居たくないというように男は店を出て行った。
少年はバーテンにラムコークを注文する。
目の前に茶色の液体が入ったグラスが置かれる。
少年はそのグラスをちょっと持ち上げて、自分の懐の金に、カンパイ。
そして、一気に飲み干すと席を立った。

店の入り口ですれ違った顔見知りの男が、薄笑いを浮かべた少年に声を掛けた。
「よう、ゴキゲンそうだな。どこに行くんだ?」
少年は男に中指を立てて不器用なウインクをしてみせた。
「パラダイスだよ」

同日、同時間、テレビ局、控え室。

「ぎゃあはははははははははやめてぇええええよっすぃーやめてぇえええええ」
加護の耳をつんざくような奇声が響き渡る。
夜も更けた収録の空き時間。
疲れと一緒にテンションもピークに達している吉澤と加護が、控え室の床の上で上になったり下になったりとくすぐり合いっこをして転げまわっている。

「ろーどー基準法はどこ行ったんだ。子供はさっさと帰してやれよ」
二人の大騒ぎにうんざりした面持ちで矢口がつぶやいた。
「ご機嫌斜め?」
隣に居た石川が小首をかしげるように矢口に聞く。
はぁああと大げさなため息をついてから矢口が口を開く。
「オイラは大人だから、夜になると切なーくなるんだよ」
「やぁだ、矢口さん。それはひょっとして、こ・い?」
「んふふふふふふ。ひ・み・つ・の・こ・い。大人にはいろいろあるのさぁ」
矢口が含み笑いをして石川にふざけた流し目を送る。
「こぉら、何物騒なこと言ってんの?」
話を聞いていた通りがかりの保田が矢口の頭を小突く真似をする。
「いーじゃん。オイラだって二十歳だもん、恋ぐらいしたいよ」
「例のカメラマンでしょ?片思いのクセに」
「うるさーい!恋愛禁止なんだもん、勝手に片思いするくらいいいだろぉーっ」
二人の会話に石川が笑みを漏らす。
「なーんだ。い・つ・も・の、片思いかぁ」
矢口は唇をとがらせて石川をにらみつけた。

「くぉらっ加護ぉおおお。待てぇえええええ」
やっと吉澤の下から逃げ出した加護が控え室の外に走り出す。
吉澤は大声で怒鳴って全速力で加護を追いかける。

3人は、その大騒ぎに驚いて二人が消えた控え室の入り口を見た。
「はぁああ。いいよなぁ、子供は」
矢口が大げさなため息とともに言った。

明けて12日、深夜12時、新宿。

少年はなれた足取りで、雑居ビルの脇を入り、怪しげな飲み屋が犇く路地を歩いた。
崩れかかったバラック小屋の赤提灯の、さらに裏の、一見おばぁちゃんが店番をしている昔風のタバコ屋のような風情の景品交換所の前で足を止める。
シャッターの下りた窓口をガンガンと叩いた。
しばらくしてからのっそりとシャッターが開いた。
「遅いよっ」
窓口の金網の向こう側で、パンチパーマで前歯のない薄気味の悪いおばちゃんが不機嫌そうな声を出した。
「ごめん」
少年はポケットから、折りたたんで輪ゴムで留めた一万円札の束を窓口の奥に滑らす。
おばちゃんは苛立つほどゆっくり札の数を数える。
それから、元は白だったと思われる黄ばんだ割烹着のポケットから鍵を出すと少年に渡す。
黄色いプラスチックの札のついたコインロッカーの鍵。
少年はそれを受け取ると礼も言わずに景品交換所の前から離れた。

カチリ。

小気味のいい音がして、鍵が開く。
ロッカーの中を覗き込む。
その暗い箱の中にぽつんと置かれていた新聞紙の包みを、少年は急いで小さなボストンバックの中に押し込んだ。

同日、同時間、テレビ局、関係者玄関。

マネージャーが用意してくれたタクシーに向かって、背中を丸めて歩いている吉澤。
後ろから石川がかけてきて、ぽんっと吉澤の肩を叩く。
「お疲れっ」
「ああ、梨華ちゃん」
ふたりはしばらく肩を並べて歩く。
「疲れたね」
石川が口を開く。
「のわりには、梨華ちゃんはいつも元気だねぇ」
「そんなことないよぉ。よっすぃーだってさっきあいぼんと大騒ぎしてたじゃん」
「そうだっけ?」
いつものとぼけた風情で吉澤が言う。
「矢口さんが、子供はいいなぁって、ぼやいてたよ」
石川の言葉に、吉澤は笑みを浮かべて漆黒の空を仰いだ。
「んへへ。子供かぁ」
「子供だよぉ」
石川が答える。
二人はタクシー乗り場に着いた。
「ねぇ、よっすぃー、久しぶりに泊まりに来ない?」
「んー」
吉澤はまた天を仰ぐ。
「今日は遅いし。また今度」
「そっか。じゃ」
吉澤は石川に先のタクシーを譲った。
石川は笑顔でタクシーに乗り込んだ。
ドアがしまる。

いつもはそんなことしないのに。
石川がタクシーの窓を開けて、顔を出す。

「よっすぃー」
「何?」
「また、明日、ね」
ほんの少し驚いた顔で吉澤は石川を見た。
「ああ、うん」

「また、明日」
吉澤の低い返事は走り出したタクシーのエンジン音に消された。

そして次のタクシーに乗り込む。
「新宿お願いします」
運転手に言って、後部座席のシートに沈み込むように浅く座る。
タクシーが走り出す。

「梨華ちゃんって、変なときだけカンがいいんだよなぁ」
吉澤は、小さくつぶやいた。

同日、午前12時45分、新宿駅西口。

人目につきたくないときは人の多いところに行く。
それが、吉澤の数年間の芸能人生活で学んだ生活の知恵だった。
人の多いところで俯いて歩けば、誰もすれ違った女の子の顔なんて気にしない。
気づかれるとすれば、それは自分を探している人間にだけ。

激安ドラッグストアチェーンの派手な店先の脇の壁にもたれて少年は立っていた。
吉澤がこっちに向かって歩いてくるのを見つけて、でも手を振るでもなく笑顔を見せるでもなく、じっと彼女の姿を見つめている。
吉澤も少年に笑顔は見せない。
彼の前までたどり着くと、一歩分の距離を開けて彼の顔を覗き込む。
見つめ合う二人。
「大丈夫か?」
少年が尋ねる。
「何が?」
「さぁな」

少年はぶっきらぼうに吉澤の手を取って歩き出す。
堅く繋がれるふたりの手。
堅く、堅く。

「どこに行くの?」
「さぁな。天国か……地獄か」
「ふーん」
「どっちでもいいか?」
「どっちでも、いいよ」

天国に行くとしても。地獄に行くにしても。
ふたりは若すぎた。
その握り合った手を引き離すために後をつけている、狡猾な狼の足音に気づかないほどに。

同日、午前1時30分、安アパート、少年の部屋。

「すっごい。こんな大金初めて見た」
「もっといっぱい稼いでるクセによ」
「銀行にあるんだもん。現金では見たことないよ」
「でもよぉ。わざわざこんな手の込んだことしなくてもよ」
「いいの、あいつらからむしり取ってやりたかったんだもん。何か言ってた?」
「お前には辞めてもらうってよ」
「ふーん。やっぱり。やる気はないわ素行は悪いじゃなぁ」
「オマエのこと、アレ、って言ってたぜ」
「そりゃぁそうでしょ。あたしは商品なんだもん」
「こんなに。あったかいのにな」
「辞めさせる前に辞められたら大騒ぎだろうなぁ」
「それこそざまぁみろだな」
「うん。今までのツケを払わせてやる」

「ちゃんと毛布被っとけよ。風邪ひくぞ」
「ねぇ。どこ行こうか」
「始発の電車で博多に行く。向こうの先輩が貨物船で釜山まで運んでくれるように手配してくれてる」
「博多ってどこだっけ」
「いいよ、お前は知らなくても」
「んへへ。すっげーね。本当にカケオチするんだ。あたし達」
「引き返すなら今だぞ」
「何で?」
「何でって……」
「キスして」

「アレ、買った?」
「ああ」
「見せて」
「んか、オマエに持たせんの、あぶなっかしーなぁ」
「へぇ……。こんな、軽いんだ」
「俺もそう思った」
「弾入ってんの?」
「ああ」
「こんなんで、カンタンに人が殺せちゃうんだぁ……」

「起こしてやるから、ちょっと寝ろ」
「ん」

「ねぇ」
「寝ろよ」
「後悔してない?」
「俺が?」
「うん」
「何でだよ。俺は端から何も持っちゃいねーからな。全部捨てんのはオマエだろ?」
「捨てても構わないものばっかりだから、捨てるんだよ。その後を背負うのは……」
「オマエひとりくらい、背負ってやる」

「なぁ」
「寝ろって言ったんじゃないの?」
「オマエさ、事務所のヤツとか、なんか、そーゆーヤツらに復讐するために、俺と逃げるんじゃねーよな?」
「不安?」
「俺が聞いてんだよ。もう聞かねーから、真面目に答えろ」
「生きるためだよ」
「あ?」
「あたしずっと死んでた。だから本当に死んじゃう前にアイツら殺しても生きてやるんだ」
「わかんねぇよ、そんな話」
「じゃ、何であたしと逃げてもいいって思ったのさ」
「そりゃあ……やっぱ愛だろ」
「なるほど。ソレだ、あたしも」
「オマエなぁ」
「本当だよ。愛のために全てをブチ壊してやるんだ」
「何だかなぁ」
「こっちきて、一緒に寝よ?」

「ねぇ」
「いい加減にしろよ?」
「今日、あたしの誕生日だ」
「ああ?バカ、オマエそういうことは早く言えよ」
「今気づいたんだもん」
「何が欲しい?」
「愛と力」
「俺、やっぱオマエのこと、わっかんねーよ」
「んへへ」
「力は、まぁ置いといて。とりあえず、コレ、愛の方な」

何もない6畳一間のボロアパート。
電気ストーブの前で毛布に包まる若すぎるふたり。
電熱線の赤い光に照らされて小さなキスを交わした。

同日、午前4時30分、少年のアパートの前。

まだ夜は明けていない。
あたりはまだ漆黒の闇。
人通りの消えた静かな路地に立つ、頼りない二つの影。
「オマエ、本当に荷物、何にもいらねぇのか?」
ジーンズのポケットに両手を突っ込んで、寒そうに少年を見上げる吉澤。
「愛と力と、あとお金もあるから。他に何がいる?」
「まぁ、そうだな」
少年はお金とピストルの入ったボストンバックを抱えている。

少年は吉澤の手を掴んで自分のライダースのポケットにつっこんだ。
吉澤の手ははっとするほど冷たかった。
でも、少年の手も吉澤を温めるには頼りなさ過ぎた。

寄り添うようにぽつぽつと歩くふたり。
切れかかった外灯のぼんやりとした光に浮かぶフラジェイル。

「おい、どこに行くんだ?」

その、どすのきいた声に、ふたりは弾かれたように振りかえる。
「大人の世界じゃなぁ、そういうお遊びは通用しないんだよ」
絵に描いたようなヤクザが二人。
がっしりした体つきの40絡みの男と、もう一人は背の高い30代くらいの男。
男たちの目つきはチンピラじゃない。ホンマモンだ。
少年にはすぐにわかった。
自分たちの行動が全て見透かされていたことが。

「走れっ!」

少年は吉澤の手を引いて走り出した。
闇の中逃げるふたりの足音。そしてそれを追いかける男たちの足音。
ふたりは盲滅法に走った。

息が切れる。
心臓が破裂しそうだ。
肌寒いはずの早春の早朝なのに、ふたりの体には汗が滲んだ。
少年は吉澤の手を離さない。

逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

でも、終幕はあっけない。

気がつけばふたりは袋小路に追い込まれていた。
目の前に行き止まりのコンクリートの壁が迫り、二人は逃げ場所を探す。
迫る足音。あとずさるふたり。

「ゲームは終りだな」
息を切らせた二人のヤクザが、歩調を緩めて近づいてくる。

少年は、ボストンバックからピストルを出す。
もう勝ち目がないのは分かっている。
でも、ふたりにはそれしか力はなかった。
震える腕を精一杯伸ばして、ヤツらに狙いをさだめる。

逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

ヤクザは、少年が取り出した物騒なオモチャに眉を上げた。
「おいおい。そんなアブねーもの出すんじゃねーよ」
「うるせぇっ。近寄るなっ」
「俺たちは、そっちのお嬢ちゃんさえ無事に返してもらえば、お前のことは多めに見てやってもいいんだぜ?」
少年が、まさか本当に発砲するなんて思っていないような態度。
「コイツは俺のモンだ。誰にも渡さねぇよ」
少年は吉澤を自分の背後に隠す。
体中、じっとり変な汗で濡れる。

逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

「子供の世界じゃな、ハッタリなんて通用しねーんだよっ」

少年の指が引金にかかる。
震える指を絞る。

でも、それより先に、ヤクザが懐から出した黒光りするソレが火を噴いた。
ぱしゅっ。
サイレンサーのついたソレが出したのは、そんな軽くてあっけない音。

でも、少年は倒れた。

「バカヤロウっ。こんなトコで撃つヤツがあるかっ」
「でも兄貴ぃ」

少年の胸から、血がどくどく流れる。
血が、血が、血が。
どくどくどくどくどくどくどく。

吉澤は腰を抜かしたようにその場にへたり込む。
フラッシュバックする映像。

「おい、このガキ連れてさっさとずらかるぞ」

はにかんだような少年の笑顔。
素っ気無く頼りない手。
怒ったように口づける仕草。

吉澤は、探るように地面に手を伸ばす。
血にまみれた少年の手の中のピストルを取る。
吉澤の手も血に濡れる。

動かない少年のとなり、血の海のアスファルトの上にひざまづいて。
少女は銃口を男たちに向ける。

「おい―――」

逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

一瞬の躊躇もしない。
必要なのは愛と力だ。
欲しいものは愛と力だ。
崩れ落ちる前に。
力は手の中にある。
崩れ落ちる前に。

崩せ。

吉澤の手の中のピストルが火を噴いた。
今度は頼りない音なんてしない。
心を、腹の底を震わす銃声。
それはどこか心地よくさえ聞こえる。
空になるまでヤツらに撃ち込む。
何発も何発も。

逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

夜明け前の空に銃声が響きわたる。

4月19日、午後8時、テレビ局生放送中のスタジオ。

四方から彼女たちを照らす、熱く白いライト。
きらびやかな場所。
きらびやかな衣装。
端正な顔つきと、ビー玉のようなうつろな目をした少女に司会者が尋ねる。
「よっすぃーは先週で18歳になったんだって?」
「はい」
「そろそろ秘密の恋なんかもしちゃったりして」
白い肌、大きな瞳、薄い唇、すっと伸びたうなじ。
でも、生きてはいない少女。
生きる前に、殺されしまった少女。
少女は笑みを浮かべる。
心持ち俯いて、まるではにかんだ子供のような笑みを。

「んへへ。ヨシザワはまだまだ子供ですから」


逃げるんだ逃げるんだ。
ふたりで。
どこまでも。

崩れ落ちる前に。


おわり


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