LOOSE GAME 01


そして、吉澤はその扉を開けた。
痛いくらいに跳ね上がる心臓の音を聞きながら。

自分もステージに立つ人間なのに、ステージを見る興奮を今まで知らなかった。
自分の目の前に浮かび上がるステージに、体の血が沸く。
血が、肉が、ロックンロールを求めている。

吉澤はさっき出会ったばっかりの、同じステージを見に来た少年とその父親に引っ張られるように、ステージを取り囲む人ごみの一番後ろに進む。
薄暗ぐ、薄汚い場内。タバコと、押し込められた人間の匂い。
大して大きくないそのライブハウスの中は、吉澤と同じようにモッズを求める人々の熱気ですでにのぼせてしまいそうだった。
大きく鳴り響くSEにかき消されないように父親が吉澤の耳に口を寄せて怒鳴る。

「こいつがいるから、後ろの方にいるけど、つっこんでっていいよ。終わったら助けてやるから、すぐに逃げよう」

吉澤は少年の父親の顔を見上げて、無言で大きくうなずいた。
女の子にしては背の高い方だとはいえ、もうすでにMODSの音を求めてステージに詰め寄せている人波の後ろではステージは殆ど見えない。
吉澤は、さっきまであんなに気にしていた「自分がモーニング娘。であること」も忘れてその人波につっこんで行き、飲み込まれていった。

開演のアナウンスが流れる。淡々と注意事項を述べる女性の声。そして一段とボリュームの上がるSE。それに合わせるようにざわめきが広がり、オーディエンスの熱気がまた上昇するのを確実に肌に感じる。湧き上がる興奮。手のひらに汗が滲む。

そして、それは突然は突然襲ってくる。

耳を貫く爆音。
切って落とされる緞帳。
弾かれる群集。
ライトに浮かび上がる4人のGANGROCKER。
―――COUNTER ACTION!!!

赤ん坊が誰に教えられなくても母親の乳に吸い付くように。まるで遺伝子に刻み付けられていたかのように吉澤は自然に拳を振り上げていた。満員電車の中では許せないどこの誰とも知らない相手との密着も、全く気にならない。押され、揉みくちゃにされ、誰かの拳に殴られても全く気にならなかった。
ただ、彼らが出す音に、声に、その熱に張り倒されないようにしっかり足を踏ん張って、やり返すしかなかった。こっちの熱で張り倒してやるように。
吉澤は自分のコンサートでも出したことない大声を張り上げる。
上手く聞こえるような小手先のテクニックも、声帯に負担をかけない声の出し方も、リズムと音程に神経をすり減らすようなこともない。それは本当に魂の叫び。自分が壊れてしまうほどただ声を出す。そうしないと負けてしまうから。これは真剣勝負。

このステージが始まるまでは、絶対今夜のことを忘れないように、目に、心に焼き付けておくんだと決めていたのに。
吉澤の頭の中は真っ白だった。
叫び、跳び、拳を振り上げて。
勝ち目のない勝負を挑み。
それでも爆音に抱かれていた。
何も考えられなかった。

「―――気をつけて帰ってください。じゃあな」

彼らがステージから消えてから、吉澤はやっと我に帰った。
頭からバケツで水をかけられた程、汗でびしょぬれになっていた。髪が頬に張り付いてぽたぽたとしずくが垂れ落ちいる。叫びすぎて喉に痛みを感じた。被っていたキャスケットはいつの間にかどこかにいってしまっていた。
顔を見られるかもしれないという思いは、不思議になかった。

湧き上がるMODSコール。
彼らを呼ぶ声。

吉澤は首をひねって後ろを見た。遥か彼方に、坊やと父親の姿が見えた。壁際で坊やを肩車していた。
吉澤がこちらを見ていることに気付いた坊やが大きく手を振る。吉澤も小さく手を振り返した。
そして、ステージに向き直る。
アンコールを待つ群集と一緒に声を上げる。

「we are THE MODS! we are THE MODS!」

**********

「熱か」
「熱いっちゃね」

ステージから引き上げてきた4人のGANG ROCKERが口々に言う。
バックステージにまで響くMODSコール。
森山はスタッフからタオルを受け取ると頭に被った。
痩せぎすの体から湯気が立ち上っている。

「森やん、右のソデの方、やんちゃそうなんがおりよるよ」
ドラムの梶浦が森山に言う。森山はタオルの下から梶浦を見る。
「ありゃ酔うちょるね」
「ああ」

ツアー千秋楽。盛り上がるなといっても、自分達も客もヒートアップする一方だった。
しかも今回はこれまでの東京公演でも一番の狭いハコ。距離が近すぎる。暴れだしそうな客がいてもコントロールすることは出来ない。

「NAPALM ROCKでよかね?」
曲順を確認する。
森山は頭からタオルを取ると、ミネラルウォーターを口に含んだ。
口をすすいで吐き捨てる。
「頼むよぉ、あんまり煽んないでよぉ」
マネージャーのウーヤンこと宇佐美が心配そうに声をかけるが、それは無理な注文だった。

「よし、行くたい」

**********

ステージにライトがつく。
歓声が沸き上がる。
吉澤の血も沸く。

「腐った世の中に一発!腑抜けたロックシーンに一発!!」

お決まりのコールに会場は沸き、アンコールが始まった。
後ろからぐいぐいとプレッシャーがかかる。誰かの拳が吉澤の頭を殴る。ごついブーツに足を踏まれる。
会場全体がひとつの波のようにうねり、飛び跳ねる。

どこにもはけ口のない熱が大きな塊となり、限界を迎えようとしたとき。

「あほう!前に飛ぶな上に飛べ!!」

突然森山が叫んだ。
膨らみすぎた熱が、暴動を起こさせた。

一部の客がモッシュを始めた。
小さなハコではその余波が、水面に石を投げ込んだように会場中に広がる。
会場中がおしくらまんじゅうをしているように力と力がぶつかり合って、あちこちで悲鳴が上がった。

吉澤も四方から押されて呻いた。
身動きがとれずに、一瞬息がつまった。

「あほう!飛ぶなっ!!!」

マイクを通した森山の怒鳴り声が聞こえて、反射的にステージを見る。
ステージの上に派手なパンクファッションの男が上がっていた。
スタッフが慌てて走り出してきて、男の腕を掴もうとする。
男はひらりと身をかわして、拳を突き上げて。
そして。
まるで狙いをつけたようにステージから真っ直ぐ。

男は、吉澤のいる方に向かって、ダイブ、した。

吉澤は、衝撃より、近くにいた女性客の悲鳴の方が早かったように感じた。
―――何?
そう思った瞬間、目の前に黒いワーキングブーツがあった。
よける余裕もスペースもなかった。
ありえないほど近くで「ゴツン」という音を聞いて、そのまま後ろに崩れていった。

演奏が止まり、会場の電気が点いた。

**********

会場は一瞬凍りついた。
観客達は倒れている吉澤の周りを取り囲むようにして立ち尽くしている。
吉澤の額の辺りから血がどくどくと流れていた。

「ねぇ、この子モームスじゃない?」

吉澤を見ていた人ごみの中の誰かがつぶやいた。会場の前での坊やと吉澤のやり取りを聞いていたのかも知れない。
ざわめきが広がった。

その時、この場に不釣合いな子供の甲高い声が響いた。

「かーちゃん!」

小さな少年が、人垣の中から走り出してきて吉澤に駆け寄った。
「かーちゃん!かーちゃん!!」
泣きそうな声で何度も叫ぶ。
その少年の後ろから父親が現われた。
驚きを隠せない表情で、どうしていいか分からないと言ったように、少年と吉澤を見下ろしていた。

やっとスタッフが駆けつけてくる。
公演終了のアナウンスが流れる。
スタッフに引き戻されたメンバーはすでにステージの上にはいなかった。

「大丈夫ですか?大丈夫ですか!?」
駆けつけてきたスタッフジャンパーの若い男が意識のない吉澤に呼びかける。
「かーちゃんに触るなっ!」
少年が噛みつくように言う。
やっと我に帰った父親が少年を押さえつけた。
担架が運ばれてきて吉澤を乗せる。
「かーちゃんっ。かーちゃんっ」
少年が泣き出す。

『本日の公演は終了いたしました。速やかにご退場お願いいたします』

繰り返す急場しのぎのアナウンスに吉澤たちを取り囲む人垣が崩れだした。

**********

この、小さなライブハウスには控え室になるような部屋はそう沢山用意されてはいない。
すでにステージでは撤収作業が行われており、アルバイトの少年達やスタッフが行きかう小さな控え室には、森山達メンバー、マネージャーの宇佐美、吉澤と即席親子になった少年と父親、そして、意識を失ったままソファーをベッド代わりに寝かされている吉澤が定員オーバーの状態で詰め込まれていた。

「この子、アレだよね、この前の……」
宇佐美が困り果てたようにつぶやいた。

吉澤は、まるで安らかにも見える穏やかな表情でソファーの上に横たわっている。ダイブ男のブーツで切られた眉の上は応急処置が施されていた。
出血のわりには大きな怪我ではなかった。しかし一歩間違えば目に直撃して大惨事になっていたかもしれなかった。

「違う!ねーちゃんはオレのかーちゃんだっ」
少年はまるで、自分しかこの横たわった少女を守る者がいないとでも言わんばかりの勢いで噛みつく。

「なんっちゃあ。ねーちゃんちゅーことはかーちゃんやなかろ?」
イライラした表情で森山が言う。少女のことが心配じゃないわけじゃなかった。だけどそれよりも長かったツアーの千秋楽が滅茶苦茶になってしまったことに腹を立てていた。
「うるせぇ!かーちゃんはかーちゃんだっ!」
「こらっ!達也!!」
自分が思春期だった時代からずっと憧れ続けていた森山に向かって息子が吼えるのを見て父親が慌てて言った。

「た、達也?」
ベースの北里がこの場にそぐわない半笑いになって聞き返した。
森山のファーストネームも『達也』だった。

「あっ、いや、あのっ。ずっと森や……、いや、森山さんに憧れててっ」
父親はしどろもどろになって言い訳する。完全にテンパってる。
それはそうだ。偶然に偶然が重なったとはいえ、子供に同じ名前をつけるくらい、この歳になっても足しげくライブに通うくらい憧れていた人たちを目の前にしているのだから。
「ろくでもなか大人になりそうったい」
北里が、そのこわもての外見に似合わない優しい笑顔でまぜっかえすと、険しかった森山の顔にもほんの少し余裕が生まれる。

「んで、結局はコイツはモームスとやらなんちゃろ?」

森山が少年の父親に尋ねる。
父親はこれまでのいきさつを説明した。

「彼女、モームスだか何だか知らないっすけど、すごい一生懸命で、泣いたんすよ。自分にはこのライブがどうしても必要なんだってカンジで。こんなことになるなんて思わなかったし。俺、自分の、初めてモッズのライブ見に行ったときの気持ち思い出して。どうしても彼女に見せてあげたくって……」

そこにいる全員が黙って彼の説明を聞いていた。
緊張のため、多少しどろもどろではあったが、彼は彼なりに必死に、自分達『小僧』―――もちろん彼自信は、もう小僧と呼ばれるような年齢ではなかったが、それでもモッズのライブに来ている間は、彼も、誰でも、小僧になってしまうのだった―――にとって、モッズのライブがどんなに特別なものであるかを、そのモッズの本人達に伝えようとしていた。

しんと静まり返る楽屋の中、宇佐美がつぶやいた。
「どっちにしても、モームスじゃ、救急車も呼べないよねぇ」
吉澤の体も心配だが、国民的アイドルグループのメンバーがお忍びでロックバンドのライブに現われて負傷したとなっては滅多な行動も取れない。

「どうなりました?」
控え室の入り口から、ライブハウスのマネージャーが顔を出した。
宇佐美は飛び上がる。

ライブバンドにとって一番怖いのは会場でのトラブルだ。
特に乱闘騒ぎや怪我人が出るような騒ぎが、一番まずい。
「あのバンドは騒ぎを起こす」一度そんな噂が流れると、あっというまに全国の会場に広まってしまう。そして、一度噂が広がると会場のブッキングがとてつもなく困難になってしまう。
MODSもデビューから20年以上たって、一緒に歳をとってきた客も一時期より「やんちゃ」ではなくなった。しかし、ここ数年のツアーはホールよりライブハウスがメインになっている。
マネージメントをしている者にとって、ライブハウスでのいざこざは何としても避けたかった。

「いやー、大したことないですよ。あの、もう出ますから」
ソファーの上の吉澤を隠すように立って、マネージャーに作り笑顔を向ける。
「それはよかった。申し訳ないけど、ウチも早く閉めたいもんでね。なるべく早くお願いしますよ」
マネージャーがそう言い残して姿を消すと宇佐美は大きく息をついた。

「あの、彼女のことは、自分が責任を持って送り届けますから、今日のところはもう…」
宇佐美が親子に向かって言った。父親は察したように息子を抱き上げた。

「何だよぉ!かーちゃん置いていくのかよぉ!」
少年は涙声で訴える。
「もういいんだよ。もう……。後はとーちゃんの大好きなモッズのにーちゃん達がちゃんとねーちゃんの家まで送ってくれるって」
「かーちゃん……」
控え室を去ろうとする父親に抱かれた少年は、心配そうに吉澤に目を向けた。

「森やん?」
北里に言われて、まだ幾分むくれていた森山が顔を上げた。そして少年と父親に向かって照れくさそうに言った。
「あー。あの、こんなことになっちまったけど。アレだ、その。俺達の歌を聴きたいって言ってた、この子、連れてきてくれてな。ありがとう」
森山の言葉に父親は久しぶりに涙が出そうになるのを感じた。。
そう、いくつになっても、この真摯さがMODSだった。

親子が控え室を出て行くと、宇佐美が腹を決めたように言った。
「これ以上ここにいられないし、タクシー、乗っちゃおう」
「せやけど……」
梶浦が死んだように微動だにしない吉澤を見て言った。
「この子、動かしたらまずいんやなか?」
「だけど……」
頭を打って意識のない人間をむやみやたらに動かすのが危険だというのは常識だった。

途中でステージを降りる羽目になったことで不完全燃焼だったのか、吉澤達を遠巻きにして、ひとりギターをじゃかじゃかと鳴らしていたいた苣木がふいに口を開いた。

「その子、脱水症状おこしてるんやなかと?」

全員が横たわる吉澤を見た。
彼女は、確かに服のまま行水してきたかのように全身汗でずぶ濡れだった。

**********

「とりあえず俺この子の事務所に連絡とってみるよ」
携帯の電波が入りにくい地下の控え室から宇佐美が出て行く。
森山はつかつかと吉澤の横たわるソファーに近づいた。

なるほど、アイドルと言われれば確かに可愛い顔をしている。茶色くした髪、抜けるように白い肌、やたらめったら長い睫毛。そのアイドル然とした風貌と、髪や頬や服や、あちらこちらにこびりついている血のギャップがどこか滑稽に見える。

「おい、大丈夫か?おいっ」

そしていきなり吉澤の肩をぐいぐいと揺らした。首の据わらない赤ん坊のように頭ががくがく揺れる。
「おいおい、森やん……」
「何か、ポカリかなんかなかか?」
苣木がテーブルの上のアクエリアスの缶を投げた。
缶を受け取り、森山は吉澤の額に手のひらを当てた。
「ああ、やっぱ脱水症状やね。熱ばあるけん」
森山はアクエリアスの缶を開けると、吉澤の口に持って行った。
「ほら、飲めっ」
そしてまた乱暴に吉澤の体を揺らす。

「…ん……」

びくんと吉澤の体が揺れた。
「お?気がついたか?」
傍で覗き込んでいた北里がつぶやいた。
それを聞いて梶浦が笑った。
「なーんか、この場面デジャブやなかと?」
「ほーら、飲め飲め」
森山は無理矢理吉澤の口にアクエリアスを流し込む。
吉澤の唇の端からアクエリアスがだばだばと流れ落ちる。

「ん、んん…んっ!」
自分の意思とは関係なく口の中に流れ込んでくる液体に吉澤はうめいて、目を開けた。
無意識に唇に押し当てられている缶を振り払おうと手を伸ばす。
とたんに体中がきしきしと悲鳴を上げるように痛んだ。体に全く力が入らない。
「よしよし、いい子やけん、ゆっくり飲め」
聞き覚えのある低くて柔らかい声が頭の上から聞こえて、大きな手が吉澤の力なく上げた手を取ってアクエリアスの缶を持たせてくれる。
吉澤は言われるままに大きく一口飲んで―――。

「え…?ええええええええ!?」

自分を覗き込む、北里と梶浦の顔がまず目に入った。
白い蛍光灯。汚れた壁の落書き。テーブルに置かれたギターやドリンクや皮のジャケット。そのテーブルの向こうでギターを抱える苣木。

そして。

吉澤は、しっかりと自分の肩を抱き起こしてくれている、背後の人物を恐る恐る振り返った。

がちゃん。
手にしていたアクエリアスの缶を落とす。

「うそっ!絶対うそっ!!」
吉澤は心の中で絶叫していた。

「おーい。……この子また固まりよったぞ」
笑いを含んだ声で北里が言う。
「これ、もっとなか?」
森山は吉澤が落とした缶を顎でさして言う。転がった缶はだばだばと床に中身を吐き出していた。
「あ、俺買ってくっばい」
梶浦が立ち上がった。

「ああああ、あの、あたしっ……」
完全に恐慌状態に陥っている吉澤が口を開いた。
でも開いたものの言葉が出てこない。
声は掠れ、口の中はからからで粘ついていた。

「何があったか憶えとっと?」
背後からの森山の声に体の芯がざわついた。
そして初めて自分の長Tやら、手やらが血に染まっていることに気がついた。
「えっ、血っ……」
不意に頭の中で映像がフラッシュバックする。
暴れだす観客、叫ぶ森山、そしてダイブする男。目の前に迫ってくる黒いワーキングブーツ―――そして、衝撃。
「あ、ライブ!!」

森山は、慌てて起き上がろうと―――、でも力が入らなくてもがく吉澤を、ソファーの背もたれにもたれさせ、座りなおさせてやった。
「大丈夫そうやね」
「あっ……はい」

さっきまで森山に支えられていた背中が嘘みたいに熱い。
何が何だか分からなくて、とにかく憧れの人たちを前にして、溶けてしまいそうなほど恥ずかしくて。
吉澤は俯いて小さく返事をすることしかできなかった。
森山の顔をまともに見ることもできない。

控え室のドアから、スポーツドリンクの缶を3本持って梶浦が現われた。
「おお。起きれたと?」
缶のプルトップを開けて吉澤に手渡す。
「脱水症状っちゃね。水分とりんしゃい」
森山に言われて、そういえば夏の野外コンサートでこんな風になったことがあるとを思い出した。倒れこそしなかったが、頭がぼんやりして体に力が入らなくなる。野外ツアー中は、マネージャーに「とにかく水分を取れ」としつこく言われていたっけ。
吉澤はスポーツドリンクを飲んだ。
水分が体中に染みていくのを感じた。
ごくごくと一気に飲み干す。

「もう、撤収も終わっとったよ。マジでそろそろ出やなあかんのやなか?」
「ウーヤンは何しとろう?」
テーブルの上のジャケットのポケットを探りながら森山が言う。タバコとジッポライターを出してタバコをくわえた。
吉澤はドリンクを飲みながら、タバコに火をつける森山の横顔にそっと見とれる。
渋い!かっけー!!
彼らとの出会いも確かにテレビ局の控え室でだったが、あのときには吉澤はまだ彼らのことを何も知らなくて。
それからMODSの音楽を聴き、MODSのスピリットに傾倒して……。
今の彼らは吉澤にとっては最高のロックスターで死ぬほど憧れている人。
その人たちが今、目の前にいるなんて。
それどころか、話したり、いや、それどころか介抱してもらったりしてるなんて。
そこで、吉澤ははたと気がついた。

もしかして自分は彼らにもすごーく迷惑をかけているんじゃないかと。

「あの、あたし、迷惑を―――」
吉澤が口を開きかけたとき、目の前に新しい缶が差し出された。
「もっと飲みな」
「あ、はい、スミマセン」

「あっれー?彼女、気付いたの?」
高いトーンの声が聞こえて振り返ると宇佐美が戻ってきた。
「よかったー。事務所電話してみたけど、相手にしてもらえなくてさぁ。外、タクシー来てるからさ。乗っちゃって」
ミネラルウォーターの缶を握り締めている吉澤を見る。
「やっぱ、脱水症状だったんだ。よかった、大したことなくて。帰れる?」
「あ、は、はい」
吉澤は慌てて立ち上がりかけたものの、そのまま膝から落ちてぺたんと座り込んでしまった。

「まだ無理ったい。ウーヤンひどかの、こんな血だらけの女の子一人で帰らすと?」
北里が笑って言った。
「いえ、あの、大丈夫です。帰れます」
吉澤が慌てて言う。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「立てもせんのにか?」

ぐいと、後ろから強い力で腕を掴まれて持ち上げられた。

吉澤は驚いて振り向く。
森山がさも当たり前のことをしているかのように、自分を支えていた。
「タクシー乗せちまおう。車ん中で迎えでも呼べばよか」
「いえっ、あのっ、そんなっ大丈夫です」
体がかっと熱くなる。慌てて首を振る。
森山に支えてもらうなんて。
気恥ずかしさと、申し訳なさでどうしていいか分からなくなる。
「素直やなかガキったい」
森山が優しく笑う。
宇佐美が慌てて飛んできて吉澤の体の反対側を支えた。

吉澤は森山と宇佐美に両側から抱えられて、ライブハウスを後にした。
吉澤は、もう、恥ずかしさのあまり真っ赤になって俯いるていることしか出来なかった。
情けなくて。何てカッコ悪いんだと自分に毒づく。
MODSのライブで倒れて、迷惑をかけて、よりによって憧れの森山にこうして抱えられて歩いているなんて。

「タクシー2台しか呼んでないんだよ。ちょっと窮屈だけど許してね」
外で待っていたスタッフらしい男二人と、合わせて8人が2台のタクシーに別れて乗り込んだ。
吉澤は、よりによって森山と北里の間に挟まれて。
前の席には宇佐美。
携帯電話でしきりに誰かと話をしている。

二人の強面に挟まれて小さくなっている吉澤は、明らかにヤバイ男達に拉致されようとしている、いたいけな少女に見えた。しかも顔に傷をつくり、ご丁寧にあちこちに血痕までつけている。警察に止められて職務質問でもされたら即、任意同行となってもおかしくはない情景だった。

このタクシーはどこに向かっているんだろう。
今何時なんだろう。
自分は、何をやってるんだろう。

今の、自分の状況がまだ信じられず、まるで夢の中にいるような気分だった。
緊張はしていたけど不安ではなかった。
このシチュエーションが、恥ずかしくて逃げ出したかったけど。

本当は、心の底では、今が永遠に続けばいいと思っていた。
森山の隣で、この夜の街のをどこまでも走っていければいいと。

それでも、別れのときはやってきて。
すぐにまた、ただの彼らの崇拝者の一人に戻らなければいけないことは分かっていたけど。

吉澤は願う。
神様、もう少しだけ一緒にいさせて、と。


つづく


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